両丹のお茶

京都府舞鶴市・綾部市・福知山市の3つの町でできるお茶のことを「両丹茶」と呼びます。

耕地は、由良川やその支流域、舞鶴湾岸周辺を中心に広がっており、経営耕地面積は約4372haで、府内全体の約22%を占めています。

※東京ドームがおよそ850個分ほどの広さ

お茶の種類

両丹では、玉露・かぶせ茶・煎茶・てん茶を生産しており、内、玉露とてん茶を宇治に納めています。

てん茶は抹茶の原料となるお茶で、玉露とともに覆いをかぶせて日光を遮って育てる『覆下栽培』のお茶です。どちらも高級なお茶で宇治茶となっていきます。

玉露

棚などおおいをしている茶園(覆下園)で、新芽に20日以上覆いをしてやわらかい、緑色の濃い芽を育てます。ふくよかなおおい香とまろやかなうまみをもつ最高級のお茶で、鮮やかな緑色をしています。茶葉をそのまま食べることもできます。

【かぶせ茶】

かぶせ茶は玉露と同じく覆いをかぶせる茶園で育てますが、14日以上覆い日光があたらないように育てた新芽を蒸して揉みながら乾燥させてつくったものです。煎茶のさわやかさと玉露の風味を合わせもっています。

中丹地域では全国茶品評会かぶせ茶部門で過去10年以上に渡って産地賞1位~上位を受賞するなどの輝かしい功績を残し続けています。

いかにこの風土と技術が育むお茶が美味しいかがおわかりいただけるかと思います。

碾茶(てんちゃ)

棚などおおいをしている茶園(覆下園)で、日光の直射をさけて育てた新芽を蒸した後、もまずに乾燥させてつくります。香り豊かで、まったりとしたうまみがあります。抹茶は碾茶を茶臼でひいて粉にしたものです。

煎茶

覆いをしない茶園(露天園)の新芽をつんで蒸したあと、もみながら乾燥させてつくります。さわやかな香りと上品な渋みのある味わいです。日本で一番多く飲まれているお茶です。

◆ P O I N T ! ◆

日本で一番多く飲まれてきた煎茶ですが、近年抹茶味ブームにより生産量としてはその需要が逆転しています。両丹全体では

1位:てん茶 2位:玉露 3位:煎茶

の収穫量で、煎茶は自家消費としてのみ栽培している現状です。(宇治茶にはなっていません)
しかし一般の家庭で最も飲まれているという点では煎茶が一番ポピュラーですね。

※生産量平成29年度京都府茶業統調べ

てん茶:18,973kg 玉露:12,960kg 煎茶:390kg



※↑写真:京都府舞鶴市HPより(手摘み風景)

幻に終わるわけにいかない

数々の受賞暦からみてもわかるように、由良川沿いで育つお茶の環境はとても上質な茶を育むに適しています。生産者さんがたの熟練の腕前で更に上質な荒茶を仕上げ、それを買い付けた茶商により製茶仕上げされ火を加えお茶は仕上がっていきます。


平成27年の販売農家戸数は4054戸で、府内全体の約23%を占めていました。この販売農家就業者のうち65歳以上が約71%を占め、府全体の約63%と比べてかなり高齢化が進んでおり、中三間地域の担い手不足や遊休農地の増加の大きな要因であることがうかがえます。

例えば福知山では15年前には100件以上の茶農家さんが存在しましたが、平成29年度には16件にとどまっているという現実があります。

解決にむけての取り組み

 関係機関と連携しながら、新規就農者が地域に住んで就農研修に取り組む「担い手要請実践農場」の設置等により、担い手の育成・支援を進めるとともに、平成26年からは地域の話し合いにより作成する京力農場プランに基づき、農地中間管理機構が規模縮小希望農家から農地を借り受け、農業経営の効率化や希望拡大を進める担い手農家等への農地集積を進め、平成29年度までに508haの農地集積が進められました。


 農家は農家の中から代々育て、受け継がれていくもの。そんな時代は終わりを迎えています。

最近では、農業外から農家をとり、育てていくという取り組みが積極的にされるようになりました。

茶商として

宇治茶として玉露・てん茶は出荷され、煎茶は自家消費のみの生産。まずは舞鶴市民として地元の人が地元の生産物を家庭で飲む機会がないことを改善せねば、宇治茶に隠れた名品も幻で終わってしまうのではないかと危惧しました。

お茶屋は本来単一の畑の茶だけを仕上げて、合組(ごうぐみ)(ブレンドのこと)し、茶を作りません。


しかし製茶仕上げをするのは茶屋の役目でありますから、生産者から荒茶を買い取り、製茶仕上げし、地元のご家庭にお届けすることからはじめました。

それも2017年からと、実績としてはまだまだ浅い取り組みですが、舞鶴・綾部・福知山それぞれにおいて地元が誇れる産業であり、地元が誇れるお茶ブランドです。

お一人お一人の手から市外へと気持ちを添えて贈ることができるお茶としてパッケージにもこだわってお作りしています。

そうしていく中で、街の産業として担い手も増えていくきっかけになり、長い今後も続く両丹茶の歴史のほんの1ページを預かり、存続していく架け橋になれればと期待しています。